動物たちは遊ぶ

期待

上野動物園の思い出は、小学生の時おばあちゃんや従妹家族と、パンダのランランとカンカンを見る目的で訪れた事だった。

その時は、立ち止まれない程の行列の中で、パンダはスヤスヤと寝ていた。
笹の葉をモリモリ食べる姿を想像していた私はガッカリして現実を見た気がした。

子供の頃の動物園という場所は、絵本やイラストで見た動物たちの実物を見ることが出来るという機会であるという認識だった。
テレビでしか見たことのない芸能人を実際に見て本当に存在したのだと確認するような感覚だ。
最後に動物園に入ったのはいつの事かすら思い出せない。

落胆

その後上野という場所は、藝大がある場所、美術館が沢山ある場所になった。受験の時上野公園を横切った時、幾度となく美術館を訪れた時、頭の片隅にその思い出が一瞬よぎるだけの場所だった。

私は成長と共に動物園は動物たちが閉じ込められてる場所というイメージになった。悲しみが封じ込められた場所になった。閉じ込められて、一日中大衆の好奇の目に晒されるなんてごめんだ。
なのであまり行かなかったのだろう。

愛のカケラ

先日偶然が重なって、動物園に行った。
そこは、沢山の子供たちや、外国人が訪れるテーマパークだった。

そこで私が動物たちを見て感じたことは、人間たちに「付き合ってくれてる」という事だった。
都合のいい解釈かもしれない。
彼らはジャングルを走ることは出来ないかもしれない。でも少なくとも、お世話係や見る人たちからの沢山の愛情が注がれている。

動物たちはただ在り、見る者たちにはそれぞれの世界がある。

思い出として沢山の人の心の中に残ってゆくのだ。
私はただ在ることの愛のカケラを見たような気がした。

MIHOKO