上野「創展」のこと

きっかけ

コンサート×個展「肖像画の中の音楽家たち」を終えて、ホッとして方向性もなく描いていると、スマホに電話がかかってきた。

公募展「創展」への出展のご案内だった。電話の主は母と同じくらいの年齢の画家の方で以前個展をするにあたりタウンニュースに載せて頂いた記事をずっと取っておいてくれたらしい。

私はその方の絵に惹かれ、ご縁を感じて出させて頂く事を決めた。1つが終われば、自然に次の事が現れるのだ。

大きな絵

私は家に飾りやすいサイズをモットーに大きな絵を描くことを拒んでいたけど、公募展に出すにあたりそうは言っていられない。大きさ的にF100号からを出すのが良いのだろうけど、制作日数ひと月あまりだったのと、描きかけてやめたキャンバスがあったのでF50号で描き始めた。

なんて自由で気持ちが良いのだろう!!それが一番の感想
布キャンバスに大きく描くにつれ、私の中の言い知れぬ欲求不満が消えていった。
私は大きな絵が描きたかったのだと思った。

何年も前にある公募展に出そうと描き始めた時、夢に昔の師匠が出てきて、まだ早いと言われた。その時に出さなくて良かったと思う。

今回は背中を押された。

描き始めて、人物に困っているとモデルさんが現れた。遠くに行かないと見れないと思っていたタツノオトシゴが横浜のフォーチュン水族館に居ることがわかり見てきた。その他色々と助けがあった。

そして、出来上がったのが「海の音#海底の秘密基地」

出来上がってみて胎内のイメージだなと思った。創展の今年のテーマが「平穏」だった。

そして、無事に上野の都美術館に飾って頂く事が出来た。代償は腕が痛くなったことだけだ。ようやくダリが腕の養生のために三角巾で吊っていた意味を体感できた。

来年はF100号の絵を描くことを決めた。
感謝で胸が溢れそう。

MIHOKO